とにかく「視る」こと
2008.08.19
このところずっと「視る」というテーマで書いてきた。
とにかく「視る」ことをおろそかにして良い作品を描くことなどできない。このことはどれだけ強調してもし過ぎではない。初学者のみなさん肝に銘じてほしい。例え手先が器用に動かせたとしても、その器用さを持って何をどのように描かせるのかを決めるのは心であり、そのように心が何かを決められるのも「視る」ことを通じ様々に感じ、考えているからこそ。まず「視る」、そして心が作られる、動く。
「何を描こうか」を決めることは「何が視たいのか」を明確にすることに他ならない。 「どんな料理を作ろうか」を決めることは「何を食べたいのか」を明確にすることに他ならない。料理と全く同じである。
人間の学習活動の約八割は視覚に依存している、と言われる。学習に限らず人日常生活の中で視覚は日夜大変な量の情報を処理している。「いちいち味わってい たら追いつかない」、視覚はそういう状況にある。そんな視覚を通じて何かを味わうことができるようになるためには、それなりの練習が必要となる。本来味わ う能力を持っているのに活用されないから弱くなってしまった、それを復活させるリハビリと言っても良いだろう。では具体的にどのリハビリはどのようにした らよいのか。
初学者においては、「上手に描きたい」というようなことは漠然とした意識はあるものの、「どのような絵を描きたいのか」というはっきりしたイメージ を持っていないことが往々にしてある。これは、例えるなら「何を食べたいのかわからないが、とりあえず何かを上手に料理はしてみたい」というような方向性のまったく定まらない状態である。自分がどんな料理を作ることで何を味わいたいか、このことをはっきり見据えるためには、とにかく美味しいと思うものをどんどん食べてみること。理屈など抜きで良い、美味しいと思って鑑賞できる作品をどんどん「視る」こと。どんどん「視る」ことを通じて自身のテイストを養うことだ。

