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愛知産業大学通信教育部 山口雅英のブログ

Q&A 絵を教えるって、結局は指導者の趣味、嗜好の押しつけ?2

2009.07.02

勿論絵画を教えることと、こうした医療行為は同じものではない。しかし、私はこの例え話に、絵画教育に携わるものとしても心がけるべきことが示唆されている。認知行動療法にとどまらず、絵画教育においても基礎的な発想としなければならない。

いろいろな場面でいろいろな質問をしてくる学生に対し、時に明快に答えなければいけないことも当然ある。しかし、時にまさにこの例え話のように敢えて直接的な回答をしないこともある。そこで私が答えの代わり学生に与えるもの、それは「答えを導きだすための考え方」である。私は与えるべき答えをしているのにわざと与えないわけではない。率直に言えば、往々にして私には与える答えがわからないのである。ここで私は「答えがわからない」ということを積極的な意味合で、堂々と表明したいと思う。逆に、何故学生のたったひとつの質問から簡単に答えを用意し与えられる人いるのか不思議に思う。

例えば「ここを何色に塗ったらよいでしょうか」という質問があるとする。そこに塗られるべき色彩、それはたったひとつの選択肢しかないのか、唯一の回答があるのかと言えばないのである。それを決める根拠となるのは、その作品の作者がその作品で実現したい自らの想い、イメージである。

「何色に塗ったら良いでしょうか」という質問を受け、指導者であるならその、作者の想い、イメージをまず確認なければと考えるはず、私はそう思うのである。

先に「答えがわからない」という言い方をしたが、それは私の頭の中が混乱しているとか、真白になっているという意味ではない。私の頭の中にあるのは唯一の答えではない、とりあえずその回答になりそうな様々な選択肢はイメージしている。しかしその選択肢とて、「この中から好きなものを選びなさい」と直接的に示すわけではない。学生自身が自らの力で自分の直面する問題に対し、いろんな解決の選択肢をイメージし、その中からどのように選択し、ひとつに絞り込んでいけるようになってほしい、その感じ方考え方のプロセスを伝えたい、私の頭にあるのはそのことである。

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Q&A 絵を教えるって、結局は指導者の趣味、嗜好の押しつけ?1

2009.06.27

絵画を習っているが、講師の趣味、嗜好で判断されているように感じられる、結局はそういうものなのか。ネットをみていると結構そんな疑問(時に不信感とも感じられる)を目にする。絵を習っている人で、自分の指導者、指導方法に対して疑問を抱いている人は案外少なくなさそうだ。

指導者の指導内容が、どんな技術、知識体系に基づき、どういう視点から、そのような指導がなされるのか、ちょっと大袈裟な言い方かも知れないが、その指導の背景、根拠となるものが伝わっていなければ、指導から受ける評価はその時々の単発的な思いつき、つまるところ指導者の極めて個人的な趣味、嗜好に思われてしまうのも無理はない。

最近「認知行動療法」に関する論文を読む機会があった。認知行動療法とは心理的、精神的な病を治療する医療活動である。その論文の中にこんな話しがあった。

「自分は魚を持っている。そこに飢えた者が現れ、自分の魚をじっと見ている。このままこの飢えた者を見捨ててもよいのだろうか、何か援助の方法はないのか。」

勿論唯一絶対の答えはないのかもしれないが、その論文の中では次のような援助の仕方を述べている。

「魚をあげてもそれを食べ終わったらこの人はまた飢えることになる。ならばこの先またお腹が空いた時に食物を得られる方法を与えよう、釣り竿をあげ、魚のつり方を教えてあげよう」

直面する空腹という問題の解決のみを考えるのではなく、将来に亘って問題を解決していけるものを与えよう、それが認知行動療法の基本的な発想なのだそうだ

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Q&A 白や黒を使ってはいけないと言われたが何故 2

2009.06.15

「白や黒を使ってはいけないと言われたが何故1」で明るい部分や暗い部分もその色彩の見え方に様々な要因が関係している、ということを述べた。そうした色彩をどう捉えるか。ここでは陰の色彩に関わるいくつかの要因を挙げてみようと思う。しかし、大切なのはやはりまず自らの眼で観察し味わうこと、それがすべての始まりであり、結論であるということ。それを忘れてはならない。

自らの眼で味わうことをしない制作は、例えるなら味見をせずに、レシピの文字だけ追いかけて料理をつくるようなものである。どんなにすばらしいレシピがあったとしても、それを使うことで良しとしてしまい、できあがった味に無頓着であるなら、白や黒を使ってはいけない、と言われるのと同じ意味で、これから私が述べる考え方を安易に使ってはいけない、と私は言いたい。

それを踏まえた上で、陰の色彩に関わるいくつかの要因について述べてることとする。

例えば赤い花があったとする。その花には光があたって明るいところもあれば、逆に陰になって暗いところもある。
明るいところは赤に白を混ぜた色彩、暗いところは赤に黒を混ぜた色彩で彩色で明暗を表現することはできる。

明るければ白、暗ければ黒、一見当たり前のことのように思われるかも知れない。しかし、実際に私達が目にする色彩は様々な色彩が入り交じったものなのである。そこで黒に依らない陰の色彩表現について考えてみることとする。陰に影響する色彩についていくつかの要素を挙げてみよう。

1.ベゾルト-ブリュッケ現象
人間の視覚は明るいところでは赤や黄といった色彩を強く感じるが、光の弱いところでは逆に青や緑を感じやすくなるという特性をもっている。これを「ベゾルト-ブリュッケ現象」と言う。逆に考えれば青み、緑みを使って表現すると暗さを感じさせることができる。

2.色彩の寒暖感
暖かさを感じる暖色と呼ばれる色彩、赤や橙。これに対し青や青紫などは寒さを感じる色彩、寒色と呼ばれている。光は熱とも関係がある。光のあたらない、つまり寒い印象を醸し出す青や青紫の寒色で陰を表現すると効果がある。

3.補色対比
甘 いものばかり食べていると辛いものや渋いお茶が欲しくなる。これは視覚にも言えること。紫色をずっと見続けた後、白い壁に眼を移すとその補色である黄 色が視えてくる。これは紫ばかり食べていた眼が今度は黄を食べたいと感じているということ。反対の刺激が欲しくなるのは時間が経過してからだけ ではない。「万緑叢中紅一点」という言葉がある。沢山の緑を見ていると人間はその補色の赤が見たくなる。その生理がそこに咲いている一輪の 赤い花のその赤さを更に強調して感じさせる、つまり同時にそこにあるものの色彩の見え方対する影響ものである。光の当たった明るい部分の色彩は強く感じ られる。するとそれを見ていた人間の眼は自然に陰の部分にその補色を求めようとするのである。

4.反射光
例えば陰、光が当た らないから黒に近づくという考え方で黒という考えは単純すぎる。光源から直接光りが当たらないだけであり、例えば周辺のものに当たった光の照り返し(反 射光と言います)の影響は確実にある。つまり陰には周辺にあるものの色が混じっているのである。勿論明るい部分にも周辺からの反射光の影響はある。
思いつくだけでも陰の色彩に影響を与える要素がこれだけある。特に1から3は物理的なものではなく、心理的なもの、つまり人間の感じ方の 生理です。こうした人間の感じ方の生理に合致するように色彩を調整すると、より「眼」に美味しい色彩を表現することができる、ということを覚えておいておいてほしい。 絵画とはコピー機や写真機のようにただ外界を引き写すだけのものではない。こうしたことも踏まえ、眼に美味しい、心に美味しい造形を調理していくことなのである。「愛情は塩にも勝る調味料」とは、昔何かの料理番組で聞いた言葉だが、絵画においても美味しいものを作るには愛情が必要であり、その愛情表現の第一歩はまず「観る」ということ。どれだけ深く観てやることができるか。そこに技術や知識、ノウハウが関わってくる。それをせずに、まず技術や知識、ノウハウで相手と関わろうとするところに、私は愛情を感じることはできない。

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