美術とデザイン3
2008.03.16
デザインの中にも「イラスト」という表現がある。いろいろな表現があるので、絵づらだけ見たなら「絵画」と呼ぶべきか「イラスト」と呼ぶべきか迷う。しかし「モナリザ」を「イラスト」と呼ぶ人はほとんどいないであろう。
イラストとは何か。辞書をで「イラストレーション」を調べると「書物や広告に用いられる説明や装飾のための挿絵・図解や写真」とある。書物や広告に付随する時、その「絵」をイラストというのである。つまりはっきりとした言葉による情報伝達に付随してあるという、その在り方についていう言葉なのだ。だから結果としてある「絵」を見ただけでは「絵画っぽい」とか「イラストっぽい」という印象は持てたとしても、「それはイラストレーションである」とは断定できないのである。そういう商業目的でもなく、言語表現に付随するわけでもないのに、「私は趣味でイラストを描いています」と言う人がいるが、その時、なぜ自分の描く絵を「イラスト」だと言うのか不思議に思う。「間違っている」ということが指摘したいのではない。どんな想いで「イラスト」と言っているのか、とても興味がある。いずれにせよ、イラストも先に述べたデザインという活動の中にある以上はデザインに要求される計画性と無関係ではあり得ない。また商品である以上、内容、質ともに安定した供給が要求され、イラストレーターであるなら、それに応えられる作風を確立しなければならない。
イラストに近いものに漫画の絵がある。漫画も、経済活動の中に組み込まれているという意味では、デザイン的な表現の中に位置づけられる。一回の掲載の中に何コマの絵を描くのか数えたことはないが、その一こま一こまを、絵画作品に臨むように描いていたとしたら恐らく締めきりに間に合わないであろう。またその身体的、精神的労力はとてつもないものとなり、連載を持つなど自殺行為である。締め切りを守りつつ、コンスタントに提供していける絵、それが漫画の絵である。言わば大量生産に見合った絵の在り方。一点ものの絵画のようにその漫画家の持てる力を全て出し切って一こまを描いたとして、それを続けて行けるのか、コンスタントにその質をキープしていけるのか。掲載毎にムラがあることは商品としては好ましくないことなのである。漫画家が精一杯やっていない、ということではない。漫画家の一生懸命は、一こまの絵に全精力を傾ける一生懸命とはまた違うところで発揮されているのである。売れっ子になれば、注文も多くなり、アシスタントも雇うことになる。自分の作品の一部を任せるのだ。その漫画家が余りに素晴らしい感性と技術が発揮された絵を描くので、アシスタントがお手上げになってしまったとしたら、雇った意味がなくなる。だからより優れたアシスタントを求めるということはあるにせよ、やはり自分以外の人でも描ける絵である必要があるのだ。
以上、デザイン分野での制作の在り方について述べてきた。では次に「絵画とは」という内容になるのが自然だろうが、私はここで文章を終わる。勿論ここまで述べたデザインとの対比で「絵画とは」と述べることは幾らでもできる。しかし終わる。何故ここで終わるかというと、私が絵画の教員としてみなさんに自分の力で絵画のことを考えてほしいと思うからである。自分で考えてほしい、そのヒントとしてデザインについて述べる、というのがこの文章の目的である。もう少しヒントを言うなら、先にも述べたように「デザイン」とは極めて計画性の高い活動である。逆に絵画はそれほど高い計画性を持っていない活動である。単純に「高い」「低い」でいったならば、高い方が優れていて、低い方が劣っているように感じられるかも知れない。しかし果たしてそうだろうか。その計画性の低さに絵画独自の意義が秘められているのである。あなたの生き方は「デザイン分野」のように極めて高い計画性の中で営まれているのか、それとも…。
おわり。