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愛知産業大学通信教育部 山口雅英のブログ

カテゴリー : 美術とデザイン の記事

美術とデザイン3

デザインの中にも「イラスト」という表現がある。いろいろな表現があるので、絵づらだけ見たなら「絵画」と呼ぶべきか「イラスト」と呼ぶべきか迷う。しかし「モナリザ」を「イラスト」と呼ぶ人はほとんどいないであろう。

イラストとは何か。辞書をで「イラストレーション」を調べると「書物や広告に用いられる説明や装飾のための挿絵・図解や写真」とある。書物や広告に付随する時、その「絵」をイラストというのである。つまりはっきりとした言葉による情報伝達に付随してあるという、その在り方についていう言葉なのだ。だから結果としてある「絵」を見ただけでは「絵画っぽい」とか「イラストっぽい」という印象は持てたとしても、「それはイラストレーションである」とは断定できないのである。そういう商業目的でもなく、言語表現に付随するわけでもないのに、「私は趣味でイラストを描いています」と言う人がいるが、その時、なぜ自分の描く絵を「イラスト」だと言うのか不思議に思う。「間違っている」ということが指摘したいのではない。どんな想いで「イラスト」と言っているのか、とても興味がある。いずれにせよ、イラストも先に述べたデザインという活動の中にある以上はデザインに要求される計画性と無関係ではあり得ない。また商品である以上、内容、質ともに安定した供給が要求され、イラストレーターであるなら、それに応えられる作風を確立しなければならない。
イラストに近いものに漫画の絵がある。漫画も、経済活動の中に組み込まれているという意味では、デザイン的な表現の中に位置づけられる。一回の掲載の中に何コマの絵を描くのか数えたことはないが、その一こま一こまを、絵画作品に臨むように描いていたとしたら恐らく締めきりに間に合わないであろう。またその身体的、精神的労力はとてつもないものとなり、連載を持つなど自殺行為である。締め切りを守りつつ、コンスタントに提供していける絵、それが漫画の絵である。言わば大量生産に見合った絵の在り方。一点ものの絵画のようにその漫画家の持てる力を全て出し切って一こまを描いたとして、それを続けて行けるのか、コンスタントにその質をキープしていけるのか。掲載毎にムラがあることは商品としては好ましくないことなのである。漫画家が精一杯やっていない、ということではない。漫画家の一生懸命は、一こまの絵に全精力を傾ける一生懸命とはまた違うところで発揮されているのである。売れっ子になれば、注文も多くなり、アシスタントも雇うことになる。自分の作品の一部を任せるのだ。その漫画家が余りに素晴らしい感性と技術が発揮された絵を描くので、アシスタントがお手上げになってしまったとしたら、雇った意味がなくなる。だからより優れたアシスタントを求めるということはあるにせよ、やはり自分以外の人でも描ける絵である必要があるのだ。
以上、デザイン分野での制作の在り方について述べてきた。では次に「絵画とは」という内容になるのが自然だろうが、私はここで文章を終わる。勿論ここまで述べたデザインとの対比で「絵画とは」と述べることは幾らでもできる。しかし終わる。何故ここで終わるかというと、私が絵画の教員としてみなさんに自分の力で絵画のことを考えてほしいと思うからである。自分で考えてほしい、そのヒントとしてデザインについて述べる、というのがこの文章の目的である。もう少しヒントを言うなら、先にも述べたように「デザイン」とは極めて計画性の高い活動である。逆に絵画はそれほど高い計画性を持っていない活動である。単純に「高い」「低い」でいったならば、高い方が優れていて、低い方が劣っているように感じられるかも知れない。しかし果たしてそうだろうか。その計画性の低さに絵画独自の意義が秘められているのである。あなたの生き方は「デザイン分野」のように極めて高い計画性の中で営まれているのか、それとも…。
おわり。

美術とデザイン2

計画性が高いということは、そのモノを何故作るのかという意図、そのモノをどのようにするかという目標、そのモノをどのように活用するのかという目的、そのためにどのように作っていけばよいのかという段取りや必要な技術について、予め明確なビジョンを持っているということである。更に言うなら費用、期限、担当者、責任者といったことも計画性に関わる事項であるし、細かいことも取り上げればいろいろ出てくるだろう。こうした全てが予め計画されていること、それがデザインである。なぜそこまで計画されなければならないか。多くの人が関わる社会的活動だからである。ほとんどの場合経済活動と結びついているからである。
一人の人間が、自分一人の力で、自分の為だけにする事柄であるなら、それは必要ないと言っても良い。ただ、さすがに「行き当たりばったりは嫌だ」そうした計画は頭の中でなんとなく持って臨むことになるが、人に示せるような明快なカタチにする必要はないし、やっている最中にその計画と違ってきても誰にも迷惑はかけない。しかし社会的活動としてのモノ作りはそんなわけには行かない。計画性がはっきりしていなければそれに関わる多くの人が混乱を来たし、目標とした成果があげられず、時間と予算を無駄にすることになる。
そうした計画性の中でも誰が、誰に向けて、どんな情報を伝えようとして作るモノなのかということは中心的課題である。デザイン活動は、基本的にはクライアントの依頼によって制作に着手する。そのクライアントが表現したいことを代行するのがデザイナーである。「表現の代行業」。「広告代理店」という言葉はまさにこの在り方をはっきりと表していると言えよう。ポスター一つでも制作を依頼しようとすれば結構な費用がかかる。その費用をかけてもポスターを作るのは人々に向けて、その費用に見合う情報の提供を期待するからである。「見る人がそれぞれに好きなように感じ、考えてくれれば良い」的なスタンスはあり得ないのだ。表現手法として、見るもののイマジネーションに働きかけるようなものはあるが、そうして興味をひいておいて「あの商品が欲しい」「あのイベントに参加したい」というひとつの結論へ導くことが最終目的である。勿論「百人の内、たった一人でも心のそこから共感してくれれば満足だ」などというスタンスはもっての他である。効率的な情報伝達のため、ターゲットを絞る、ということはあるが、やはりそのターゲットについては百人中百人にわかってもらうことを目指して作るのがデザイナーの基本的スタンスである。どうしたらそのような作品を作ることができるか、勿論主導権を握るアートディレクター的存在はあるが、決して一人の独断ではないのである。マーケティング、つまり市場調査をし、その結果を基にみんなで集まって計画を立てる。作るだけでは終わりではない。印刷、掲示等デザイナー以外の多くの人、会社も関わる事業である。その中の誰かのその時の気分で計画が変わったとしたら、実に多くの人が巻き添えを食らう。実際にはそうしたイレギュラーは起こる、しかし起こらないことが大前提である。
レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザは未だに現役で鑑賞され続けている。何十年も前に購入した絵画を今も今に飾っている人もいる。絵画ならそのようなこともある。誰もその作品の寿命などということは考えないだろう。しかしこれまで述べてきたデザイン分野の作品には明確な寿命がある、しかも基本的にはかなり短い。勿論優れたポスターがポスター美術館に保管されるということはある。それは例外として、身の回りにあるポスター、毎日通勤で使う駅に貼られたポスターは3ヶ月前のものと同だろうか。常にある一定期間で張り替えられている。○月○日開催のイベントポスターであるなら、その画面の中に「○月○日」と自らの寿命を明記しているのだ。定期刊行物もエディトリアルというデザイン分野の作品である。寿命は「定期」である。
つづく。

美術とデザイン1

「美術とデザインの違いは何か」ということを耳にする。
「君の絵はデザイン的だね」私も学生の時、先生からそのような指摘を受けた経験がある。
「え?それってどういうこと?」
同じような経験を持っている人もいるのではないか。実際私も、学生作品についてそのように指摘することがあるが、自分も経験のあることなので、学生が
「え?それってどういうこと?」
という気持ちはよくわかる。
「それはね、こういうことだよ」というのは勿論説明しているわけだが、そのことについてはまた別の機会に書くこととする。

今回のテーマは「美術とデザインの」について。

「美術とデザインの違い」という言葉には実は違和感を覚える。中学校、高等学校の区分で言えば、造形表現に関わる分野を「美術」と言い、その中のひとつとして「デザイン」がある。美術大学の中にデザインの学科、コースがあるのもこれと同じ考え方だと言って良い。その区分けからすれば、まだ「絵画とデザインの違いは」と言われたほうが、呑み込みやすい。
次ぎに、「デザイン」とは何か、答えは明快である。辞書によれば「設計」「計画」「構想」となっている。一般的には出来上がったモノを「デザイン」と呼ばぶことが多いようだが、この意味では、出来上がったモノよりも、そのモノができるまでのプロセスの在り様が「デザイン」と呼ばれるべきものなのである。
となると、絵画制作にだって計画性がある。絵画に限らず人間の活動で計画性と無縁なものがあるのだろうか。どんな活動にも大なり小なり計画性つまりデザインはついて回る。そんな中で特定の活動をデザインと呼ぶのは、その活動における計画性がとても重要だからであろう。つまり我々がデザインと呼ぶ表現活動はとても計画性の高い活動であるということ。となると、絵画は、計画性と無縁ではないだろうが、デザインと呼ばれる分野に比べそれほどに計画性が重要ではないということだろうか。
つづく。

 
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