「視る」こと、日常の練習 その2
2008.08.06
先に取り上げた「トリミング」、あれも日常の中でちょっとした時間にできる「視る」練習である。常にL字形の紙を2枚用意しておく。「戯れに」で結構、いろんなものをトリミングしてみる。次から次にやってみる、手応えのあるものは微調整しながらやってみる…。大切なのはただ漫然とするのではなく、やりながら「これは良い」とか「これ今いち」とか、判断しながらすること。その判断は誰にも知られるものではありませんから、遠慮せずに恥ずかしがらずにどんどん勝手に判断していけばよい。迷っても保留にしない。どんどん自分にとっての良し悪しを判断していく。「視る」ことが味わうこととなり、判断することとなるための練習。
視ることと判断することなんて日常生活の中で常にやっていることだ、と言われればその通りである。しかし、日常的には「視る」ことと「判断すること」の間に「言葉」が介入している。視たことがそのまま判断材料ではなく、言葉に解釈され(勿論そんな意識もないままに、無意識に)て判断材料となるべく加工される。つまり、言葉にしやすい部分が採られ、言葉にならない、なりにくい情報は削ぎ落とされ、そのように加工されたもので判断していることが多い。眼に視えるものから、もっと直接的に判断していく。例えるなら食べた瞬間に「美味い」とか「不味い」とか判断する、あの味覚の在り様に視覚の在り様を近づけていく、そんなイメージ。