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愛知産業大学通信教育部 山口雅英のブログ

カテゴリー : 読書感想文 の記事

絵画の評価基準 アルマン・ドゥルーアン著「絵画教室」

絵画の良し悪しを評価する客観的な基準というものがあるのだろうか。アルマン・ドゥルーアン(1898年フランス生まれ、画家、美術批評家、画商)という人がその著書「絵画教室」(東郷青児訳・美術出版社)の中で彼が考案した絵画の良し悪しを採点するシステムを紹介している。それについて簡単に説明しよう。

・まず作品を評価するための20個の評価項目を設定する。

・それぞれ項目につき20点を最高得点として点数を入れる。

・20の項目は重要度に差があるためそれを調整するためにそれぞれの項目に係数をもうけている。例えばもっとも係数が大きいのは「共感率」という項目で「15」、もっとも係数小さいものの例としては「絵画的遠近法」で「1」。つまりこの両方の項目に10点をつけた場合、「スタイルの個性」は10点×係数15=150点となるが、「絵画的遠近法」では10点×係数1=10点にしかならない。係数の大小で項目ごとの重要性(ドゥルーアンの考える)がわかることになる。細かいことはともかくこのように計算して最高得点は2000点となる。

・点数による評価は次のとおり。

秀(天才)…1800点以上 優…1600以上 佳(才能あり)…1400点以上 良…1300以上 可…1200以上

次に絵画を評価するためのどのような項目が用意されているのか紹介する。()内の数字は前述の係数。繰り返すが係数が大きさにドゥルーアンの項目ごとの重要性が反映されている。

1 感動の真摯さ(8)…制作に対する信条、愛情の強さ

2 個性:a)概念における(スタイル)(12)…精神的な個性。単なる新奇性とは異なる、一途に精進することで得られたもの。

3 個性:b)制作における(ファクチュール※「仕上がり」の意)(5)…作品の造形面に現れる個性。制作スタイル
4 色彩:a)色彩の強さ(7)

5 色彩:b)色彩の品位(階調)(2)

6 色彩:c)色彩の多様性(抑揚)(1)

7 ソノリテ(7)…つりあいがとれていること

8 構図(リズム、アラベスク)(4)

9 ボリュームの構成(マスの造形的均衡、記念碑的なもの)(5)

10 光の構成(4)

11 デッサン:a)正確さ(お情け点、知性がないときの)(1)

デッサン:b)知性(5)
12 夢、ポエジー(6)

13 装飾的特質(2)

14 ヴァルール(3)

15 単純さ(3)

16 感受性(5)

17 主題(モチーフ)(2)

18 マチエール(2)

19 遠近法(絵画的)(1)

20  共感率(15)

この20の項目によって絵画の評価採点をしていくのだそうだ。みなさんはどう考えるだろうか。勿論、ここで紹介しているからと言って私が諸手を上げてこの内容に賛同、共感しているわけではない。が全く全く採るに足らないと思うようなことであるならここで紹介するいこともない。想像するに多くに方、美術愛好者にとって、このように項目立て、採点し(数値化し)、絵画の良し悪しを評価するという考え方には違和感もしくは反感 の対象となるかも知れない。勿論、ドゥルーアン自身もこの著書の中で数々の反論を想定し、それに応えている。いくつかの項目については「そう、それなしでもよい」とさえ言っている。またある絵画コンクールで、自分の名を冠した賞「ドゥルーアン青年絵画賞」を当時まだ無名だったベルナール・ビュッフェに与えたが、この評価基準によって計算したビュッフェの作品に対する点数はむしろ低かったのだそうだ。

ドゥルーアンの提唱する具体的な項目の内容や重要度の判断について私自身、必ずしも共感しているわけではない。それにも関わらずここで紹介しているのは、絵画の意味、価値を構成する要素を取り出して個々に具体的に検証してみようとするその基本理念に共感するからである。「味わう」つまり鑑賞者としてのスタンスであるなら、そんなに分析的に考える必要もないのであろう、むしろ観念にとらわれずあるがままを健全に心で受け止めるのが良いでのだ、とも言える。分析的な視方がもたらしてくれる価値もあるにはあるが、それなしでも鑑賞は成立するだろう。しかし制作者としてはどうか。自身の制作をただ漫然と眺めているだけ、などということはあり得ない。制作プロセスの段階段階、場面場面に応じて、まさにドゥルーアンが提唱した項目のように問題意識を整理し意識的に取り組んでいく必要がある。料理を味わう人はただただ心から「おいしい」と感じれば良い、しかしそうした料理を作るために料理人が漫然と「おいしい料理ができればよいなあ」と思っているだけではだめなのである。

「進化しすぎた脳」という本を読んで 6

人間のモノの感じ方、考え方の生理に合致する表現の仕方。人間は実は「あいまい」が好きなのである。勿論日常生活の中で正確に事を運ばねばならない場面にあいまいな情報というのはつつしまなければならないだろう。しかしこれまで述べてきたようにあいまいさに触発され想像力が動き出すことは人間の感じ方、考え方の生理であり、無意識であれそのように能力が発揮されることは人間にとってよろこびであり快感となる。想像力を働かせていることは、生きて活動していることと同義である、想像力を働かせているということは生きていることの充実感に繋がると言っても過言ではないだろう。その意味で「あいまいさ」というのはとても大切なことなのである。

以前から私は、絵画表現において「あいまいさ」というのはとても重要な要素だと考えていた。「あいまいさ」と言っても、無計画、行き当たりばったりの結果としての「あいまいさ」ではない。しっかりとした意識、表現意図によって現された「あいまい」さ。あいまいさがそのあいまいさに触れた人それぞれの想像力を刺激する、そこにその「人」の感じ方、考え方が立ち上ってくる。絵画が伝達する情報はけっしてひとつの正確な情報に集約されるものではない。見た人がその曖昧さに自分自身を投影する。そこに豊かで多様、芳醇な世界が想像されるのである。

しかし、そのように「あいまいさ」と上手く付き合っていく、というのも難しいものである。経験を積むことが必要、ということである。先に人間の記憶の仕方の特徴として「あいまいな記憶」を「時間をかけて覚える」ということを挙げた、これは制作や鑑賞にも言えることである。直ぐにはっきりした結論を得ようと、ムキになるようりも、ある意味のんびりとアバウトにやっていく、というスタンスが大切なのである。

「進化しすぎた脳」という本を読んで 5

想像力は人間である以上誰もが持ち、日常的に発揮している力である。日常生活をつつがなく過ごすのに事足りるだけの使い方では満足できなくなると、今度はその「あいまいな記憶」というパーツを使って何か新しいものを作ってみようと思うようになる。誰もがその持てる能力を十全に発揮したいという欲望は持っている。同じパーツを使ってもイメージできることはひとつだけではない。あんなイメージもこんなイメージもできる。日常的には結びつかないようなパーツも想像力の中では結びつけることができ、それによって日常を超えたイメージを創出することもできる。想像力は無限に働かせることができる。このように本領を発揮した「想像力」によって、日常を超えたレベルのイメージを創出する、これを人は「創造」というのではないだろうか。その意味では創造は日常の延長にあるとも言える。創造は決して特別な天才芸術家だけのものではない。誰もが持ち、かつ日常的に働かせている想像力がその本領を発揮するところに「創造」はあるのだと思う。

 
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