大いなる問いが大いなる答である4
2010.01.10
絵画を制作していく上で様々な疑問を抱いたり、迷いが生じたり、どうしていいかわからなかったりするという経験をするのは当たり前のことである。そこで「私は困りました。どうしたら良いでしょうか」と例えば指導者に質問する。 これも「問い」ではある。しかし、大いなる問いではない。小さな問いである。問いの大小はどこで決まるか。真に価値のある答を求めるならば、それに相応し い価値のある「問い」を創造しなければならない。その最も基本となることは、まず「問い」を発している自分自身をしっかりと見詰めようとしているかどうか である。同じような問いかけの内容であっても、誰がどういう状況で、何を求めて発しているかによって価値のある答の在り様もまったく違ってくる。つまり問 いが生じる背景やベースをしっかりと頭の中でカタチにするイマジネーションが必要なのである。以前にも述べた。人間は問うためにイマジネーションを与えら れている。
場合によっては、「問い」の背景にあるもの、ベースになっているもの、要因となっているものを整理している内に自然に答に行き着いてしまう、ということも少なくない。これもまた大いなる問いが大いなる答であるという話しである。
他の分野でもそういうところはあるかもしれないが、答が一つではないこと、それぞれの問題意識や趣味嗜好、主義主張で答が変わってくるような分野の 活動、例えば絵画の学習などにおいては「答」を学ぼうとすることよりも、「問い方」を学ぼうとすることのほうが大切だということを念頭において臨んでほし い。