配色や形態、構成、質感、そういった要素を表情として捉える、感じる。鮮烈な原色、強いコントラスト、鋭角的な形態。例えばこんな造形が醸し出す表情は、ダイナミックとか、エネルギッシュといった印象を与えるだろう。逆に控えめで変化のデリケートな配色、ゆるやかに変化するおおらかな形態。例えばこんな造形が醸し出す表情は、優しさや穏やかな印象になるだろう。作品の方向性を感じさせる絵画の「語り口調」、そんなものをイメージしてもらえるだろうか。
絵画は具象的な表現のものであっても、現実の単なる引き写しや、代用品ではない。モチーフに対して受動的であってはならない。配色や形態、構成、質感、こうした造形の要素によって積極的、能動的に作者の世界観を表現していこうとする姿勢を持ってはじめて「表現」のスタートラインに立てることになるのである。「造形の表現力」ということを協調すると、写実的な具象絵画を否定しているように受け取られる場合がある。違う。「抽象画」のところでも述べたように、それが具象絵画か抽象絵画かという違いが表現の優劣に結びつく訳ではない。写実的な具象絵画においても、優れた作品にはしっかりとした「造形の語り口調」を感じることができるもの。これ見よがし大袈裟に振る舞ってみせるような作品よりも、真摯に繊細に造形に向かう、誠実さの感じられる作品のほうが良いこともある。
「主従関係」を明確にすることも「わかりやすい」作品にするためには必要なことである。主役しか考えていない。絵画の初学者に多く視られる。描きたいものしか描かない。これは例えるなら「肉が食べたいから、肉だけ食べる」というのと同じである。「自分の描きたいものを描く、それでいいじゃないか」と言われるかも知れない。しかし、「表現」として肝心なのは、好きなものをよりおいしく食べる工夫、配慮。絵画を描くことが単なる自己満足であることを超えて、あるいは他の人とのコミュニケーションとなる。私が「おいしい」と思ったものをみんなにも味わってもらいたい、どうせならよりおいしく味わってもらいたい。「食べ物への愛情、見る人への思いやり」、なにやら絵画についての話ではないような言葉が出てきた。しかし、このように考えることはとても大切なことである。表現を練り上げていくその根底には、こんなような気持ちがあると私は思う。
どうしたらその色彩や形態が「よりおいしく」感じられるか。チューブから出した、何も混ぜていないこの上なく鮮やかな赤、作者はこれをもっと鮮烈な印象にしたいと想った、どうすれば良いか。赤に手を加えることはできない。ならば組み合わせる色彩によってより赤さを協調する。それが対比効果である。赤の補色、緑。これを添えることで赤はより協調され鮮烈な印象となる。こうした補色対比はわかりやすいひとつの例である。画面上のある部分にひとつの色を塗ったということは、他の部分の色彩すべてに手を加えたのと同じことになる。同じことが形態にも言える、曲線を協調したいのなら直線、あるいは鋭角に曲がるような線と組み合わせることで引き立ててやればよい。基本は単純なことである。人間は必ず、対比の中で物事を感じて、捉える。対象を、対象の周辺にあるものとの対比で判断する。現在視ているものを過去に経験したこととの対比で判断する。真っ赤に塗られた部屋の中にいると、だんだん「赤」を感じなくなると言う。そこにほんのわずかでも「緑」を持ち込んだ瞬間眼前にわーっと赤が立ち上ってくるという。対比でものを捉えることは人間にとって本能であり、生理である。これを利用して作品をおいしく見せる、私が作品を通じて表現したいことをよりしっかりと感じてもらうようにする。つまり「わかりやすく」してくのである。