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愛知産業大学通信教育部 山口雅英のブログ

2010.3月6 日の記事

Q&A クロッキーとはどのような表現か 2

絵の制作には様々な目的がある。すべての絵が正式な作品として鑑賞されるためにあるのではない。

どんな目的があるのか簡単にまとめてみる。

1.鑑賞の対象として描く

2.練習のために描く

3.作品制作の計画のため、あるいは資料として描く

4.対外的な目的はなく、ただ自分の描きたいという欲求を満たすため描く
細かく言えばいろいろあるだろうがこの程度に留めておく。いろいろな目的がある、というのは今回テーマとしているクロッキーにおいても事情は同じである。さて、こうした目的に照らしてクロッキーという表現について考えてみよう。

「1.鑑賞の対象として」について。クロッキーが正式な作品として鑑賞の対象になりうるかという問題。緻密さ、正確さ、完成度(「完成度」にもいろいろ解釈はあるが)など、同じ素描の仲間であるデッサン、何時間をかけて描くデッサンに比べるなら、まったく足下にも及ばない。及ばないが、ではそれが表現としての価値、鑑賞されるものとしての価値としても足下におよばないか、というと必ずしもそうでもはないように思う。絵画は物量で価値が決まるわけではない。必ずしも費やした時間、画材の使用量等々それらの量と表現の価値は比例するわけではない。

線の表情を味わう。数学的にいうなら線は幅もなく、まして味わうべき表情などありえない。しかしクロッキーの線は違う。線自体に表現としての価値が宿っている。デッサンに比べるなら、クロッキーははるかに少ない描線で描かれている。自ずと一本一本の線の存在感が強いものとなる。強い線、弱い線、勢いのある線、慎重な線、切り込むような線、探るような線、撫でるような線…時間をかけて何度も重ねられたデッサンの線と比べるなら、その線に込められた力、その線が描かれた時間があからさまにその表情になっている。

描写の正確さは必ずしも表現としての価値ではない。正確であることがいけない、というのではない。しかし客観的に正確であろうとするほど、主観的な表現は減じていく。短時間で描くクロッキーは、その時間の短さゆえ、その場でほとんど直感的に対象を捉え直感的に描写してゆく。人間の直感は必ずしも客観的ではない。特徴的な部分は誇張されることもある、瑣末なものは省略されることもある。同じ対象を10人がクロッキーするとしてその誇張、省略のしかたはおそらく十人十色、その違いにそれぞれの作者の個性、感性が現れてくる。そもれクロッキーの味わいのひとつである。

 
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