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愛知産業大学通信教育部 山口雅英のブログ

審査員8 わかりやすさ2

2010.02.19

どんな「わかりやすい」内容であっても、伝え方が拙ければ「わかりにくい」作品になるということ。おそらく作者はその「すばらしい風景」に心を打たれ、それを絵画作品にしようとして制作したのであろうが、どのように「心を打たれたのか」が伝わるように、絵画における「話口調」すなわち色彩や形態、構成、質感といったもの(これを「造形言語」という)への配慮、工夫、練り上げがなければ、例え「山頂に雪を冠した山と、その麓の村を描いた作品ですね」と言葉による了解はできたとしても、作者の心の動きを視る者の心と響かせ合うことはできないのである。造形に対する積極的なアプローチがないのなら、らわざわざ絵にしなくとも写真でよかった、むしろ写真のほうが良かったということになりかねないのである。

「わかりやすく表現しましょう」というと、何やらきわめて初歩的な段階の問題のことのように思われるかも知れない。そうとも言える。しかし、人間にとって「わかる」とはどういうことなのかということを突き詰めて考えていくとこれは決して浅い問題だとは言い切れない。

「見る人の感じ方、理解の仕方に任せる」、作品の意図などを尋ねられた作家がよく口にする言葉である。確かにこれはひとつの正しい考え方である。工業製品やデザインの作品ではない。大げさに聞こえるかも知れないが、作者は自分の人生すべてを背負って作品に向かう。作品という存在とそれを制作しようとした作者の想いは、限定的な目的手段の関係に回収され得るものではない。言い尽くせるものではない。私という人間をどう思うか、どう感じるか、ということに等しい問題。付き合ってみてあなたがどう感じるか、考えるかですということになる。また作者が作品について語った内容が絶対の答えのように、そのようにしか作品を受け取ってくれなくなる、という事態は絶対にさけたい。

しかし、これをあまり安易に言いたくない、というのが私のポリシー。作品制作の中で自分が感じたこと、考えたことは、できるだけ伝えていこうと考えている。その上で、どれだけ私がいろいろと作品に語っても、最終的には「見る人の感じ方、理解の仕方に任せる」しかない、となってくる。音楽に例えるなら、最初から「自由に踊ってよ」とは言わない、私の奏でる音楽、そのリズム、そのグルーブをしっかりと受け止めて、そのリズムにのって「自由に踊ってよ」と思う。私の感じたこと、考えたこと、それがそれぞれの視る者の心でそれぞれに広がってくれれば良いと思う。

審査にあたっても、審査員である「私」がどう感じるか、考えるか、以前に作品から発せられる声をしっかり聞きたい、しっかりと聞かせてくれる「わかりやすい」作品となら心地よい、有意義なコミュニケーションができるのである。

この記事のカテゴリー:審査員

 
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