審査員10 わかりやすさ4
2010.02.21
わかりやすさ」ということで長々と述べてきたが作、この「わかりやすさ」が作品に対する評価基準のすべてではない。しかし、とても大切なことである。自分が作品で何を表現しようとしているのか、しっかり自分がわかっているのか、という意味での「わかりやすさ」。自分が作品で表現しようとしていることを、しっかりと視る人にも感じてもらえるように作品を、造形を練り上げているか、という意味での「わかりやすさ」。単純に言うなら作品を制作するということは、こうした「わかりやすさ」を求める気持ちに支えられている。そして鑑賞という行為も「わかろう」とする気持ちに支えられている。基本、コミュニケーションなのである。
作品は理屈で捉えるものではない、感じるもの、というのは正しいと想う。人間の直感は馬鹿にはできない。投げて跳ね返ってくるボールを受ける、物理の複雑な計算をしなければ答えがわからないような事柄でも、平気で直感でやってのける。文章中にも頻繁に使った「おいしい」ということ、これを感じられるのも理屈ではない。直感である。審査の際にも直感による判断はないがしろにはできない。ただし直感は必ずしも生得的なものばかりではない。その多くは生きてきた中で培われ、磨かれるものである。何度も何度も繰り返し体に覚えさせることも大切、同時に、要因を追求し対応を意識化することも大切である。言葉によって問題を整理することも大切。だから言葉にして記述してみた。
絵画は複雑なコミュニケーションである。手段も、目的も、成果も曖昧と言えば曖昧である。その曖昧さに意味がある。曖昧であるから時に応じて感じ方が変わる、作者を、視る者を映し出す鏡になる。曖昧だから変化していける。作品も、作品に携わる自分自身も。この曖昧さが必要なのである。「わかりやすさ」について述べてきたと言っても、それでわかりきってしまうわけでもなく、またわかりきってしまおうというつもりもない。しかし、その複雑さ、得体の知れなさをも味わいとしてしっかりと味わうためには、ただ漠然とその得体の知れなさの前で立ち尽くすのではなく、「わかりやすさ」を手がかりに作品の中に分け入って、分け入って、そして得体の知れなさの核心に出会えるのが良いと考える。
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