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愛知産業大学通信教育部 山口雅英のブログ

造形リテラシー7 どんなものが欲しくなるのか1

2010.08.03

同じものであっても、欲しい、と感じている時に与えるのとそうでない時に与えるのでは効果がまるで違う。

勿論、それぞれの人がどんなものを欲しいと感じているのか。どんな欲求を持つかも、その人の個性が大きく現れるところ、十人の人間がいればその欲求も十個ある。それに対し、欲しいものを与えるというのはどういうことであるのか。そのひとつのヒントとなるのが先回紹介した補色残像の例である。「十人十色」という言葉があるように人それぞれ好きな色彩は異なる。しかし、その人がどんな色彩を好きだったとしても、緑を見続ければ生理的には赤に対する欲求が強くなるのである。普段は甘いジュースが好きな人であっても、甘い饅頭を食べた時、生理的に欲しくなるのはやはり甘いジュースよりも渋いお茶なのである。ここに挙げたのはわかりやすい単純な事例である。実際にはいろいろな要素が絡み合い、またある刺激に対して芽生える欲求もひとつのパターンではなくなってくる。しかし大切なことは表現とは、単に満足を与えるだけのものではなく、満足させるべき欲求自体を誘発する作用を併せ持っているということ。

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造形リテラシー6 欲しくなるものを配する。

2010.07.25

ある物を食べて美味しく感じるのは、それが美味しい物だからである。しかし、人間に「美味しい」と感じさせる要因はそれだけではない。それを食べたいという強い欲求を持っていること、これは時にその物自体の美味しさということを上回る要因になる。造形にも同じことが言える。ある色彩をとてもきれだと感じさせようとするなら、勿論良質の絵具を使うといった配慮の他に、その色彩を見たいと思わせる工夫が必要となる。

みなさんは補色残像の実験をしたことがあるだろうか。ある色面をじっと見続けたあと、白い壁や紙に視線を移すと、そこにあるはずのない色彩、しかも見続けていた色面とは全く異なる色彩が見えてくる。例えば赤を見続けていると緑が見える、青紫を見続けていると黄が見える。見続けていた色彩と後から見えてくる色彩を「補色」の関係という。人間はある刺激を受けると、その刺激とは反対の刺激を欲する、欲する刺激をバーチャルに作り上げてしまうほど欲するという生理を持っているのである。こうした生理現象、日常的には視覚よりも味覚において経験することが多い。饅頭を食べていると渋いお茶が欲しくなる。そのタイミングで飲むお茶はおいしいのである。塩のしょっぱさが味覚を刺激し甘い物を欲しくさせる。その欲求がスイカの甘みをより甘く感じようとする味覚を働かせ、結果スイカの層甘みが一層引き立つ。

こうした生理が働き、逆に美味しくなくなってしまうこともある。甘いお菓子を食べた後に食べるミカンは甘みが失せ、すっぱいだけになってしまう。お菓子の甘さのおかげで、もう甘みには満足している、欲しくない状態になっているのである。

「紅一点」という言葉はみなさんご存知だと思う。本来はこの句の前に「万緑叢中」という言葉がつく。緑が豊かに繁る中に咲いた赤い花は、緑に引き立てられより一層鮮やかに見えるということである。目が緑の色彩をたくさん食べたことによって、こんどは赤という反対の刺激が欲しくなる、そこに現れた赤は単独で見る赤の何倍も何倍もおいしいのである。

以上挙げた事例は単純なもの、人間が何かを欲しくなる生理というのは更に複雑なものであるが、人の眼が美味しいと感じてくれる造形を表現するためには、この基本は覚えておく必要がある。

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展覧会の紹介 WOLFGANGSEIERL展

2010.07.04

WOLFGANGSEIERL

作家ヴォルフガング・ザイエール氏は、ウィーン美術アカデミーで美術を学んだ造形作家であると同時に、ウィーン国立音楽大学、モーツァルテウム音楽大学で音楽を学んだ音楽家でもある。時間表現である音楽と空間表現である造形、そのふたつの領域で表現活動する作家。変わっている、と言えば変わった経歴である。しかし、考えてみれば人間はこの世界で生きている以上、時間、空間のそのどちらにも等しく関わっているわけで、そのいずれにも等しく関心を持ち、また表現者として関わっていこうとすることは、むしろ自然で健全である。ザイエール氏の音楽についてはここで何か語れるほどには知ることはできなかったが、絵画作品から受ける印象としては、氏の関心は時間と空間のその両方、というよりも時間と空間が未だ分化されていないところ、共通の母胎とも言えるところから生まれてくるものにあるように感じられた。

作品はご覧のように造形的には極めてシンプルである。即興的に短時間で描かれたものなのかと思い聞いてみたところ、意外にも、とても長い時間がかかっている、という答えがかえってきた(ここに提示した作品で約一ヶ月、実際に描く時間は短く、ほとんどの時間は視て、構想することに費やされているとのこと)。そこに描かれたカタチは即興的に一瞬で生まれたものではなく、最初に描いたカタチが長い時間をかけてだんだんと変化、発展してそのようなカタチになったのだという。このプロセスを説明するのに氏は「エラボレーション(eraboration)」という言葉を使った。英語に疎い私が本来なら知る由もないような言葉であるが、あるテレビ番組で小説家大江健三郎氏が、何度も何度も書き直し丹念に文章を洗練させていくことを「エラボレーション」という言葉で表現していたのを思い出した。

氏は、作品をX線で撮影すれば、エラボレーションのプロセスが見える、と話してくれた。作家が制作のプロセスを極めて強く意識しているということだと思った。私の聞き間違いでなければ何度か「レイヤー」という言葉を使っていたように思う。レイヤーとは「層」のこと。作品制作のプロセスが階層構造になっているということであろう。勿論絵を描く人は通常絵具を何層も重ねながら絵を描いているが、「層を重ねる」という行為が持つ表現としての意味合いを積極的に取り入れているところに氏の表現の独自性がある。層をなしているのは絵具だけでない、むしろ積み重ねられたものは「行為」と「想い」、作品と作者の過ごした緊密な空間の凝縮と時間の流れ。それが結果として素材である絵具の層となっている、ということだと思う。

中には透けた絵具層によって下層に描かれたフォルムがうっすらと見える作品もあった。下層のフォルムと、その上に塗られた薄い絵具層の関係を人間に例えるなら、骨格や内蔵のように内側にあるものと、表面の皮膚のようなものだ、と語ってくれた。その階層構造は、そのカタチが描かれた時間的な経過であると同時に、表象相互の前後関係により二次元である絵画の表面に奥行きを作り出している。いわゆる遠近法が作り出す疑似三次元空間ではなく、絵画の表層の極めてわずかな幅の中に具体的に存在する三次元空間。

時間と空間が未分化な状態、作品は造形ではありながらまだどこかしら「物」としての重さの獲得に至らず。人工物でありながら、次の瞬間にはまた別の状態に変化してしまいそうな流動感はむしろ「現象」と呼ぶにふさわしく。そうしたある種の「ゆるさ」「軽やかさ」と、エラボレートされた緊張感の高いフォルムとの微妙なバランスが空間的なふくよかさとなり会場全体を満たしていた。

展覧会は7月25日日曜日まで

名古屋市東区葵2−3−4三光ビル1F

ギャラリー フィール アート ゼロ

http://www.life-deco.net/
(アドレスをクリックするとギャラリーのホームページにリンク)。

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